新幹線ゼロ系車両が引退
2008年 12月 01日
昨日の夕方、新大阪から広島まで記念運行して幕を閉じたと言うことは、ボクが同じ頃、博多から最新700系に乗っていて、どこかですれ違ったワケだなと、少し感慨深くなった。
このゼロ系新幹線に最初に乗ったのは、5歳くらいだったと思う。
父親が「明日、新幹線に乗せてやる」と突然の宣言。
翌日、父と二人で新大阪から名古屋まで乗って、そのままホームを変えて大阪にとんぼ返りした想い出が最初である。
あの頃、父もそんなに小遣いが無かった時代だろうな…と胸が熱くなる。
当時の新幹線は、頼めば子供にだけ運転席を見せてくれたし、何かおもちゃみたいなお土産(今で言うノベルティ)も貰ったなぁ。
電車の中に水を飲めるブースがある!と妙な事に感動した(今はもう廃止されている)
そして何より、開業から10年ほどは、食堂車がめっちゃおいしかった。
メニューがいっぱい。
帝国ホテルやら、いろんな会社が電車ごとに違っていたのを憶えている。
キーハンター的インテリアの中、大人の空間として、ませガキのボクは、この食堂車が大のお気に入りだった。
その後、食堂車は効率化に伴い、メニューもハンバーグとミックスフライの定食だけに変わって行った。
新幹線にはいろんな思い出がある。
就職で東京の入社式のために最終の新幹線で東京駅に立ったその時、「さよなら国鉄、ようこそJR!」というセレモニーに居たし、そこからずっとずっと、いったい何回乗っただろうか?
広告進行をしていた時は、原稿を網棚に載せて、東京の同期に「346号の13号車の一番後ろ、海側の網棚に載せた」などと、公衆電話で電話していたなぁ。
とにかく、ゼロ系車両とボクらは同世代。
時代の流れによって引退かぁ…。
なんだか我が身と重ね合わせる年の瀬の始まりなのだ。
急に内田百鬼園センセの「阿呆列車」が読みたくなったなぁ(^_^;)
→こちらが、ゼロ系最後の日にすれ違った時に乗っていた最新型のN700。そのフォルムに時代を感じますなぁ