イシハラマコトのマンボな日常へようこそ☆


by nestvision
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大阪文学学校、修了式に出る。

大阪文学学校の修了式がありました。
今まで行く機会がなかったし、なんかカッタルイなぁ…と思っていたのですが、今回がホンマのラストタイミング。最初で最後に出席しました。
修了証書を頂く時に、心の中で4年前の自分にアッカンベーをしたのであります。

文校という所は、4年継続在籍で節目がやって来ます。
なんというか…、卒業みたいなもんです。

思えば4年前に書きたい気持ちがいっぱいになって、ずっと気になってた文学学校の門を叩く。電話の先には多分、Bさんが居たのだと思う。
体験入学は高畠チューター。文校の第一印象は「なんか、雰囲気が暗いなぁ」だった。体験入学の後、初DANへ行く。誰かと大激論になった記憶がある。

●1年目(通教科/本科/木下チューター)
いつも丁寧な添削をしていただいた。自信満々のボクの文章を誉めつつも、「これじゃアカンで」なコメントをいっぱい下さった。最初にこのチューターだったのが本当に良かった。「樹林」に北新地のホステスを描いた『同伴出勤』を初掲載してもらう。

●2年目(通教科/専科/石村チューター)
石村さんとは年齢が同い年だったせいか、いろんな話をした。石村さんなりに、"石原作品こうあるべし論"みたいなのがあって、それがその後の作品に大きく影響したような気がする。この頃のスクーリングは常に戦闘態勢で臨んでいたような気がする。文校経験者みんながそう言ってるように、専科時代が一番アツかったと自分でも思う。
この頃、同期Mと出逢い、他にみゆきchanやあびるsanなどとも話をするようになる。
初めて「在校生特別号」に、自作『紫のセロファン』応募→落選。
「樹林」に『夜の観覧車』を掲載して頂く。
ほかに『かさぶた』など書く。

アツいついでに、この年に学生委員の活動もやる。新聞部という学生新聞を作る担当。本職が本職だけに、その新聞の作り方が縄文時代に思えたが、それが文校学生委員の良いところだったのだと確信している。編集者イシハラもここでは縄文時代の編集をする。

●3年目(夜間部/研究科/高畠チューター)
一度は通学をと思っていたので、満を持して通学に切り替える。ここにはJeckyさんという存在が大きかった。ここでの出逢いが本当に大きいものだった。今でも作品評を頂きたいメンバーのほとんどは、この中に居た方で、読書会への参加もするきっかけに。どうせ小説を書き続けるなら、いろんな賞に応募しようぜ!と同期Mと誓い合ったのもこの頃。北日本文学賞に、『シトラス』で初応募。二次選考で没。
『南向き角部屋ワンルーム』、『れんげ』、『金魚鉢』、『獅子の子ら』、『バーベキュー日和』など書く。

●4年目(通教部/研究科/四宮チューター)
楽しかったが濃密な時間を過ごした夜間部を離れ、実はその作品のファンであった四宮チューターが通教部の研究科に移られたという報せを受け、迷わず移籍。
この人には、小手先で書いたモノは木っ端微塵に批判されてしまう。
逆にボクの文章のどこがONLYであって、何が良いのか?それをハッキリ言ってくださった。
同期Mに執拗にケツを叩かれまくり、ものすごい難産の結果、『月と大黒さん』を書く。
この作品は、北日本文学賞で4次選考まで進み、「樹林」掲載、そしてなんと「文學界」の同人誌評で批評を頂くという、自分にとってはエポックな作品になった。ほかに『回収屋・亮二』、『堂島川』など書く。「樹林」に『コオロギ』を掲載していただく。

3年目がやっぱり多作で、4年目はその整理整頓といった時期だった。

★今後、学友という立場で文学学校には残るつもりでいる。
もうしばらく四宮チューターとも向き合いたいし、半年ごとに通教と夜間を繰り返そうか…、とも考えている。
文学学校は今日で修了だが、書く事は始まったばかりなのである。
by nestvision | 2008-09-22 00:42 | 日記desu