イシハラマコトのマンボな日常へようこそ☆


by nestvision
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ぴあ関西版 10/7売号をもって休刊~最終稿~

とうとう今日がやって来た。あっぱれ秋晴れなのが妙に悲しい。

ぴあ関西版が、本日発売の10/7発売号をもって通巻708号。
25年の歴史の幕を閉じる。
朝、この特別な雑誌を、どの書店で買おうかと悩んだ。考えた末、やっぱり梅田紀伊国屋の雑誌コーナーで買う事にした。
1986年の4月に入社式を終えた我々ぴあの新入社員一同は各地の書店研修に入った。
ボクは大阪で雑誌売り上げが一番多いという、梅田紀伊国屋雑誌コーナーに配属。
そこから5月いっぱいまで書店員として働いた。
ボクの雑誌人の原点となった売り場で、原点となった雑誌の最終号を買った。

久しぶりの「ぴあ関西版」を丁寧に読んでやる。
ボクがやっていた頃はモノクロページがけっこうあったけれど、今はフルカラーになって久しい。
ちゃんと読めば読むほど、現編集部の真面目さがよく伝わってくる。
そのへんの”へたれフリーペーパー”が著名人インタビューやってるのとはワケが違う。
そして各ジャンルの情報欄にページは進む。
先にもこのブログ連載で書いたけれど、苦心してレイアウトしても、そのスカスカ感は埋まらない。
やはりココにぴあ的情報誌の終焉の所以があったんだなと、痛々しく読み進む。

最後に(実は一番最初に読んだが)最終ページの「編集後記」を厳粛な気持ちで読む。
あの頃、本当に苦楽を共にした後輩、薮内知利編集長がフルネームで粛々と書いている。
「やぶ流のケジメやなぁ」と嬉しく読ませて頂く。
彼が一番複雑な気持ちのまま、今日を迎えているはずだ。
アイツなりのぴあへの愛情を巻末のカラー企画「ぴあ関西版25年のすべて」として、表紙を一号残らず編集してくれている。懐かしい「はみだしYOUとPIA」もちゃんと載ってる。思わず胸が熱くなってしまう。

自分が編集に関わった頃の表紙絵にはすぐに目がいく。
この表紙の題材を決めるにあたり、いろんな攻防が毎回あった。悔しい思いをしたり、優越感に浸ったりの繰り返しだった。

ボクが新入社員としてはじめて関わったのは1986年4/4号の「カイロの紫のバラ」。まだぴあを知らない人が読んでくれたら…という販売部の発案で、電車の網棚に一冊づつ置いたのを思い出す。
そしてこの編集部から巣立った時の表紙が「ともさかりえ」だった。
有給休暇を使わず、最後の日は渡辺さん、薮内くん、河口くんと普通に打ち合わせを17時からして19時に終えて普通に帰った。
何もセレモニーをするな!と命じたものだから、何も出来ずに薮内が小さく拍手で送り出してくれたのが嬉しかったのを今でもはっきり覚えてる。
社を出て、あの「神山1」の交差点、今の天下一品からOMSを見上げて、ひとり深々と一礼したのが昨日のようにフラッシュバックする。

「情報をただ並べて何になるんだ?」と言われ続けて、結局インターネット時代の到来をある意味でコンテンツとして予見していった巨大メディアだったと思う。
「もう情報誌も終わりだね…」では決して無い。
あの頃、ボクらが読者と一緒に築いた情報誌があったからこそ、我々は今これほどの情報量を処理する術を身につけたのだと思う。

かつて蒸気機関車が時代の流れと共に姿を消し、電車へと移行して行った。
まさにそういう事と同じで、誰が敗者だとか勝者、という単純な問題ではない。

25年という気の遠くなる時間の積み重ね。そこに出入りした人々。ビッグになった人、そうでない人、別の道を進んだ人…。その歴史がすべてここに詰まっているんだ。

悲しいか? そりゃ悲しい。泣き出しそうに悲しいさ。
自分の小学校がダムの湖底に沈んでしまうようで、何とも落ち着かないし、その怒りのぶつけ先も知らない。

とにかく、最終号を立派に世に送り出した 現編集部の後輩たちに敬意を表する。
本当におつかれさん!
お前ら、淡々と最終号までやって、カッコ良かったよ!

そして、ぴあ社の新しい未来にエールをおくりたい。
最後に、本当に、ほんとうに、ホントウに、ありがとうございました!
ぴあ関西版よ、永遠に。

b0025405_16342620.jpgPS:最終号のぴあ関西版 各書店も力を入れてくれているようです。是非一冊買って頂き、25年働き続けた老兵に有終の美を飾らせてやってください。
by nestvision | 2010-10-07 16:33 | 日記desu