イシハラマコトのマンボな日常へようこそ☆


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ぴあ関西版 10/7売号をもって休刊~その8~

わが古巣である「ぴあ関西版」がこの世から姿を消すまであと一ヶ月をきりました。やはりこのブログ原稿を書き続けるのはとっても重いです。あれもこれも、そして批判になってはそもそもの意味を失うし。
過去のみんなが真剣にやって来て、今ぴあ社に在籍している方々の英断での”休刊決定”だから支持もしたい。
何だか、自分の出た小学校がダムに沈むみたいでたいへん複雑ですが、最終号発売日まで、出来うる限りの事を綴ろうと思います。


「関西ウォーカー」やその他の「ぴあ」の競合誌といわれる情報誌の中で、多分どなたも理解不能な、ぴあだけのお家事情といいますか、特殊な環境化にある事業が「チケットぴあ」です。
ボクは現役時代に直接チケット事業に関わった事が無いので、横から見た印象、それと出版物への影響について書き記しておきたいと思います。

現在、一緒に140Bという会社を運営している”街場評論家”にして”元Meets編集長”の江弘毅兄ぃが、どっかの新聞に”ぴあ関西版休刊”の寄稿をされる時、けっこう取材を受けましたが、やはりこのぴあの抱えるチケット事業との連鎖性についいては、キチンと説明出来なかったし、多分、江の兄ぃだってチンプンカンプンだったと思います。
それだけ何というか、ぴあの強みであり、大いなるアキレス腱だったわけです。チケットぴあ事業ってのは。

その歴史はぴあ社のHPに譲るとして、矢内社長が西武(その後チケットセゾン)と進めた「日本初のチケッティングサービス」のコンセプトは大きな理想に燃え、そして壮大な計画だったのです。
それまでのコンサートチケットは、プレイガイドという街の売り場で、座席表を見ながら、空いてる席を買うというきわめて原始的なものでした。それをコンピュータシステムにより、全国どこからでも、誰でも平等にチケットを買えるようにとの考え方がその根本にありました。
このチケット事業における闇の部分は多々ありますが、自分がチケットに関与していなかったし、、また現在もチケットぴあ事業は稼働中で、どこまで書いていいのかダメなのか判断出来ないのでここではひかえます。
チケットぴあと出版、主に「ぴあ関西版」というメディアにとってどういう影響を与えたか?に絞って。

いわゆる「ぴあ」の編集ページのその大部分を占めるのは、当然興行情報なわけです。芝居や音楽、映画と行ったもの。チケットぴあはすべてのジャンルでチケット流通のインフラになろうとした。
当時競合だったセゾンやプレイガイド21というサービスは、流通拠点の集客目的で設立された経緯があります。今は大分変わりましたが、チケットローソンだってそういう意味合いが当初はあったと思います。
店舗にチケットを引き換えに客が来てくれたら、靴下くらい買うだろうという発想です。
ところが独立系のチケットぴあはその発想が他と全く違った。
チケッティングサービスを提供するのだから、その対価を興行主に求めたというワケです。
商売としてはまっとう。当時のチケットぴあのシステムには今では考えられない開発コスト、運用コストがかかっていたワケですから。
ここに今でもぴあに近い人間とは議論になる、興行主にコスト負担をさせるモデルというのがキーワードになってきます。今であれば当然受益者負担になるのですが、スタート当時は受益者負担(消費者がサービスに対価を支払う)というクセがついていなかった。また先に述べた競合が”お客様サービス”として導入したサービスですから受益者負担なんてとんでもない!という時代で、ぴあとしては渋々に興行主負担という選択肢しか無かったのではないかと個人的には思います。

興行の世界は水モノです。いかに素晴らしコンサートや映画でも、そのプロモーションを間違えばアウト。興行主からすると、命かけてやってるワケです。
そこにチケット流通のコストを支払わされ、広告として告知を打っているワケで、「じゃ編集でコレをプッシュしてよ!」となるのは当然の成り行きなワケです。

ぴあという情報誌が創刊から掲げていた(後付けであっても)「平等性」とか「客観性」といった立ち位置が大きく揺らぐワケです。
編集権というものは何処にあるのか?という問題です。
当然、いくら広告を貰っているからといっても、当時の編集部(現在の編集部だってそうなハズ)は「良いものを読者に!」という考え方で必死でやっていたし、チケットぴあサイドも編集権というモノを尊重はしてくれていた。
が、しかし目に見えない違和感というか、そういうモノが澱のように溜まっていったのです。(完全に個人的な感想ですけれども)

逆に音楽業界や映画業界もセオリーを確立した時代というか、配信されたリリースだけで、双方どの程度売れるのか?がけっこう予想出来る時代になっていたのもあります。
PUFFYなんて、デビュー告知のリリース(資料)ペラ二枚だけで、メガヒットが予測出来た時代です。
この頃、何が起こるのかわからなかったのが、芝居、特に小劇場の世界で、編集部はそっちに傾注していくのであります。(今はこちらもある種のセオリーが確立された感がある)

うまく伝わっているかなぁ?

ぴあにとってチケットぴあは大きなエポックであって、その後の最大の武器になるんだけど、諸刃の刃って感じで、諦めざるをえない事も増えて行くという、とてもデリケートな関係式に複雑化していくのです。
ぴあ社内で誰も口にはしないが、心の中に必ず潜む矛盾。
そういった事がチケット側にも編集側にも芽生えた事は否定出来ないのです。

この持病(といったらネガティブ過ぎるのですが)、疾患みたいなモノは、その後確実にぴあの体臭となっていくのです。

このニュアンスが他の情報誌には絶対にわからない、ぴあだけのお家事情であったという事です。

(つづく)
by nestvision | 2010-09-08 12:35 | 日記desu