ボクのComputer変遷記録(長文)
2008年 12月 07日
ここ最近はWindowsばかりを使っているので、石原はWin派と思ってる人もいるが、実は相当初期からのMacユーザーであった。が、あのAppleオタクの思想が気持ち悪く、自らをWin派ともMac派とも決定しなかった。使えるモンなら何でも良い…風にPC環境を手に入れた。
道具なんだから、何でも良いといえば何でも良いハズである。
1987年(24歳ごろ)
それまで、企画書というモノはすべて手書きであった。なんだかイナタイなぁ…と思っていたボクは自前でワードプロセッサー(ワープロ)を購入。SONYのRupoという機種で、液晶画面に2~3行しか表示できなかった機種。これで企画書を書き始めたのが、キーボード入力との出逢いだった。
1988年(25歳ごろ)
当時つき合いのあったグラフィックデザイナーのH氏から貰った。AppleのMacintosh Plusという機種。
ハードディスクはきっと8MBくらいだったのではないか?
実用には耐えず、もっぱら単純なゲームをして遊んでいた。当然仕事はワープロで。まさかコンピュータで仕事をするとはこの頃思わなかった。
1989年(26歳ごろ)
最初に買ったのがこの機種である。Apple Macintosh ClassicⅡというもの。それまでマックは30万以上していたのだが、この機種は16万程度。しがないサラリーマンにも買えるギリギリ。当時キヤノン販売がアップルの代理店をしていて、神保町のキャノンによく通ったなあ。
そして、この機種を会社に自費で持って行った。前職の会社で、自前のパソコンを持ち込んだのはボクが初めてだったと自負している。みんな「?」な顔しているのが面白かった。
主に表計算だとか、ワープロで社内資料を作成し、そのフッタには必ず"Powered By Apple Macintosh”とクレジットしていた。この頃はバリバリのMac教信者だった。
1991年(28歳ごろ)
この頃、デザイン業界は本格的にMacへと移行した時期であって、スペック上その役目を果たしたMacintosh SE-30を、当時ペーぺーだったO社長に譲って貰う。これにアクセラレーターを装着し、メモリー増設、そしてハードディスクを入れ替えてモンスターSE-30を使っていた。
これは今でも記念品として所有。
その頃もはや頭はデジタル。初期のザウルスなども買ってペーパーレス化に向けがんばる。
モデムはパルス式でニフティーサーブなどもこの頃に始める。
1993年(30歳ごろ)
自宅にはCentris。会社にはSE-30という時代が続く。自宅では主にPerfomaというアプリケーションを使って音楽をやっていました。なかなかハイスペックでよかった想い出。
1994年(31歳ごろ)
創刊誌の編集長に就任し、編集部予算を一手に牛耳ったため、調子に乗って編集部をすべてMac化。今のLANの走りみたいな事をやった。僕のデスクにはLC520。編集部にはPower Macを3台ほど入れ、完全なるフルDTPの雑誌を創刊する。時期が早過ぎたなぁ…、やっぱ。
1995年(32歳ごろ)
会社を辞めた後は、高額なモデルも使えないので、しばらくこのLCⅡのお世話になった。
時を同じくして、ジョブスもAppleを去り、ジョン・スカリーの戦略もダメダメで、もはやアップルに興味は無くなった。
1996年(33歳ごろ)
仕事の都合で初めてWinの95モデルを買う。
最初のモデルはFMVのBIBLO B5モデルでしたぁ。
とまぁ、その後はしばらくWindows。会社には少なくとも1台のMacはあったのだが、ずっとWinとなってしまった。
PanasonicのLet's Noteのトラックボールは革新的だったし、IBMのThink Padはそのキーボードのフィーリングがピアニストのボクにピッタシで、今でも小説なんかは、どうしてもThink Padで書いてしまう。カタタンタンと小気味良いのである。
それと当時、Think Padを使っていてシアワセという個人的な理由もあったのでして…。
2008年(45歳ごろ)
家のPCをアルミニウムi-Macに変更。今後またアップルへ回帰するのかはまだ不明。
ただ、iPhoneとiTunesとMacの連携による、一種のAppleワールドの再構築は、初期の頃のマルチタスクにビックリしたのと同じくらいの衝撃が今、走っている事は確かだ。