雑誌業界、概ね大寒波(1)
2008年 04月 25日
それもこれも、広告が集まらないのだ。
もはや最近の雑誌広告は、雑誌広告ではない。チラシを留めているだけの体である。
「心のヒダに引っかかる感じのいい広告」などは最早時代遅れ。
過激に電話ジャンジャンとか、クーポンぐいぐい…な異常現象が広告効果となってしまった。
一部のクリエイティブ過多の雑誌は少部数に喘ぎながら、ブランド力だけでコンテンツを引っ張る。それでも結局、ウラでは店舗用のパンフかなんかに流用されて、体のいい編プロ状態に陥っているワケである。
また、大衆向けの情報系雑誌は、なんとクーポン無しでは代理店・クライアントにも見向きもされず。
自分が広告代理店マンだったらその気持ちもわかる。
テレビへの出稿であれば、放送確認書一枚で話が終わり、ウマイこといったら数千万円の請求書をピラピラと持って行ったら仕事が終わるし、一手間でガガンと売り上げが上がる。
派手な局のコンパに誘われ、タレントの卵を喰いつつ。何かと役得も多く、ギャル受けも良い。ノベルティの数が違うし、オシャレな社屋は、さぞかし出来る広告代理店マンの自分自身を讃美してくれているかの様だろう。
一方、雑誌への出稿の場合は、時間との闘いの中、原稿を必死のパッチで手配し、校正を走って届け、最後にはアテモンみたいに上手く印刷されている事を他人に全権委譲し(責任校了ってやつね)、石の様な重さの掲載誌を何十冊も、いち早く持って行かないといけない。
制作費もビンボー臭く、ほとんどの編集者は春なのにネルシャツを着ていたりする奴ばかり。
飲むといったら居酒屋とかワンコインバールなどなど。文学崩れみたいな奴が物知り顔で語り、暗いったらない。
昔から広告宣伝のセオリーとして、「テレビはカウンターパンチ」、「雑誌はボディーブロー」という言われ方をしてきたが、今や、ボディーブローが効く頃には、その商品なり事業部門自体が無かったり、あるいは売却していたり…。
もはや効果はカウンターパンチでしか評価できなくなった。
評価といえば、サンプル少ないなどと言われながら、瞬間視聴率が出るテレビの方が絶対にフェアだ。公称部数だの、ABC公査だの、何だか隠蔽体質の雑誌業界とは潔さが違うし、ダラダラ、いったい何冊売れているのか誰にもわからない。まぁ業界自体が自爆したんだな。音羽&一橋グループの責任だな。
ボクがD通マンだったら、テレビしか売らないな。絶対に。
楽やモン。楽しいモン。おいしそーやモン。
さよなら、良き雑誌の時代。
さよなら、マルチ32pの時代。
あぁ、雑誌の明日はどっちだ???
どっちでもええけどね。