18年目の1.17。
2013年 01月 17日
18年の年月が経ったそうだ。
当時から東灘区に居て、全焼した実家の本山中町に辿り着けたのは3日後。隣の隣に6世帯ほどの文化住宅が建っていたのだが全壊。ぺっしゃんこになっていた。そこにはかつて若い夫婦と元気な2歳くらいの男の子が住んでいて、ボクが実家に帰る道すがらよくその親子を見ていた。
全壊した建物の前にはおびただしい花が供えられていて、聞くと住民はみな下敷きになって亡くなったという。
あの男の子が生きていたらウチの愚息と同じくらいだったろう。
苦しさも楽しさも寂しさも、そして恋も知らずに亡くなられた。
毎年、この日に思う。
もしこの世が修羅であるならば、あの人たちの分まで辛酸をなめねばならぬ。
そしてもしこの世が極楽ならば、あの人たちの分まで謳歌せねばならぬ。
たとえ死んでも生きねばならぬと、心の奥底で神戸の人間は思っている。
遠く花巻市でも追悼の祈りをして頂いたとニュースで聞く。
東日本大震災で被災された方は、阪神のそれ以上にまだまだ途上である。
一日も早い復興を願うばかりである。
そして神戸で無念の死を遂げた人々に黙祷。