イシハラマコトのマンボな日常へようこそ☆


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『薔薇とサムライ』 劇団☆新感線

『薔薇とサムライ』 劇団☆新感線_b0025405_859294.jpg
(C)劇団☆新感線

8日のソワレに引き続き、13日の大千秋楽を観る。
千秋楽にして最前列。キャストの汗も唾も被りながらの至福の4時間でありました。
劇団創立30周年の節目に、RXとしてのGoemon Rock Over Drive。
メインキャストは古田新太と天海祐希。
もはや心配事は何も無い。休憩時間さえ惜しい、まさに"Over Drive"な4時間あまり。

演出のいのうえひでのり。
知ったような劇評には、「大胆な演出」とか「唯我独尊・いのうえワールド」などと表現されているが、僕の持ち続ける彼の印象はちょっと違う。
「繊細で神経質で、きわめて小心者的なフェチ」(自分の中では最高に賛美してるつもり)な演出家だ。
現代に於いて、一番近松に近い感覚を持った劇作家ではないか、と思う。
彼の中ではきっと、キャストに対する観客の期待に全て応えたい(いや応えないと怖くてたまらない)という強い意志があるし、今回のRシリーズ(いのうえ流音楽劇の総称)のように、「ロックは生演奏じゃないと伝わらない」という頑な信条(というより生演奏以外は考えられないという生真面目さ)。そして何よりも旗揚げ以来のファンを裏切る事を最も恐れていて、その逆に、いい意味で必ず観客を裏切らねばならぬ、と胃炎になるくらいに悩んでる、という自己矛盾。
そういう意味で、独善的で哲学的な舞台を作る作家とは大きく異なる大衆性を持った人。
いわば温泉場の新劇座長であり、近松門左衛門がメディアであった頃の、猥雑な上方歌舞伎を現代にトレースした人。

ボクが新感線に初めて触れたのは、'84年の『宇宙防衛軍ヒデマロ』あたりの、新生新感線と呼ばれるあたりからだったと思う。
最初に勤めていた出版社の入居するビルがOMS(扇町ミュージアムスクエア)で、同じスペースに新感線のオフィス&稽古場もあった時代だった。
出版社の営業の駆け出しだった頃、彼らは裏の駐車場で筋トレやら発声練習をひたすらやっていた。羽野亜紀が奇声を発し、古田新太がスクワットをしていた。そしてそこから時は大いに流れたのである。

天海祐希という”国民的鉄板女優”を使って、彼らは30年前と変わらぬ新感線を見事にやってのけた。
新感線が、ニッポンという国において、最大公約数的である天海に追随したのでは全然ない。
劇団☆新感線という、あの時と変わらない”ベタな関西小劇場の世界”に、天海を引きづり込んでしまったといえる。

実は8日のソワレの後、北新地のとある割烹で、関テレに接待されてるいのうえさんに偶然遭遇した。
「今日の公演面白かったです」とだけ声を掛けて店を出たのだが、その時の、いのうえさんの心からハニカんだ顔が嬉しかった。
本当に嬉しそうに「ありがとうございました」という言葉には、「関西小劇場で最も成功した男」とか、「小劇場を商業的に成功させた野心的な演出家」なんて謳い文句は、やっぱりさっぱり本質をわかってない東京の劇評家による後付け記事なんだと思った。
だって関西では「新感線のいのうえぇ〜」だし、「芝居やってる変な奴ら」なのだから。

大千秋楽では、いったい何回のカーテンコールが巻き起こったか知れない。
1Fから3Fまでまさに総立ち。
そして、千秋楽恒例のロックナンバー3曲を古田も天海も歌いまくり(もちろん♫ババンバ バンバンバン♫もやった)、定番の「せんべい投げ」で大興奮のうちに終演となったのでした。

新感線は、大昔、「大和」や「軍鶏次郎」でダラダラ呑んでいた頃と何ら変わっていなかった。
僕はそこが本当に嬉しかった。
ありがとう劇団☆新幹線。ボクも30年はやらなあかんかな?って思えたよ。
by nestvision | 2010-05-14 09:00 | 観ました!review